投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


梅田へ

 投稿者:日本拳法2段  投稿日:2017年12月29日(金)20時44分23秒
  梅田お疲れ様でした。全日は行けませんでした。本庄先生から試合結果を聞き、光陰矢のごとしだと感じています。
14期は様々に個性の違う面々が入部し、楽しみだと考えていました。万全の態勢で出場できなかった西日本大会。傘を忘れて防具を濡らし、香美先生にいきなり怒られましたね。他の三人は組み中心で試合をしましたが、梅田と辻井は立ち技でした。しかし元々体感の強さがあり、組を仕掛けられてもあまり動じませんでしたね。2年の夏の大会では白帯の梅田の面が炸裂し、大道の赤井さんや他の関係者からあの子は必ず強くなると励まされました。3年の夏は大阪に僅差で敗れましたが、勝ち上がるたびに大会で団体としてのチームが成長していると実感しました。は じめて途方もない悔しさを感じた試合だったのではないでしょうか。またあなたほど家庭訪問をした選手もいませんでした。大切にかわいがられ育てられた両親や祖父母の恩は忘れてはいけません。とりわけ大学へ入った当時は様々なことがあって、心配しました。時々高校の練習に顔を出してくれたときは、順調に大学生活が送れていることを知り安心しました。今我が校は部員難で悩んでいます。しかし男子も女子も少ないながらがんばっていますし、素材は決して悪くありません。1年の男子はしっかり挨拶ができず、あなた方の代にかなり似ています(笑)。これからもたまには練習を見に来てやってください。また香美先生はじめ、育てていただいた方々に感謝の誠を捧げなさい。社会人として立派にがんばって、しっかり家族孝行をしなさい。「健闘」を祈っています。

 

14期・梅田君、お疲れ様でした!

 投稿者:日拳の伝道師  投稿日:2017年12月18日(月)16時41分47秒
  14期主将の梅田君が12/10の全日本学生選手権大会を以て7年間の学生拳法を引退しました。
私も当日は審判をしながら関学の試合を観ていましたが、強い梅田の姿を久し振りに見た!というのが率直な感想です。
前に出て左右の拳を振るうラッシュは、さながら機関車のように止まることなく続き、一本をもぎ取る姿は「強いっ!」と思わず叫んでしまうほどでした。

高校時代の梅田は立って良し、組んで良しのオールラウンダーで、青翔からすると厄介な強い選手でした。梅田だけでなく植松、幸田、大西ら身体にも恵まれ、しかもセンスのある者が揃っていて、12期以上の戦績を残すのでは?と期待したものです。
ただ、声も小さいし、やる気が表面に出ず、何を考えているのかがわかりづらい奴らだったので、「お前らは橿高らしくないっ!」と怒ったこともありました。
高校卒業後は濫觴会にも合宿にも14期はあまり顔出しもしてくれなかったこともあり、14期にもなると創部者との間に距離が出来てしまうものだなぁと一抹の寂しさを感じていましたが、全日本が終了したその晩に梅田からすぐにお礼のメールがあったのには驚きました。また非常に嬉しく思いました。

14期には大学に進学して拳法を続ける者も何人かいましたが、結局、今年の引退者は梅田一人になってしまいました。
梅田に対しては、今後も奈良県大会や社会人大会にも出てもらい、拳法を楽しんでもらいたいと思います。
何はともあれ、7年間お疲れ様でした!

東先生、コーチ諸氏、先輩諸氏、同期の皆さん、メッセージをお願いします?
 

引退しました

 投稿者:梅田弘希  投稿日:2017年12月15日(金)12時12分24秒
  橿原高校14期主将の梅田弘希です。
全日本選手権をもって、7年間続けた拳法を引退しました。
同期の幸田と大西に連れられて特に理由もなく始めた日本拳法でしたが7年間日本拳法を通じて多くの人と出会い、多くのことを学び成長できたと思います。
高校の時は最初の頃に練習が厳しくやめたいとずっと言っていましたが同期や先輩達の支えがあり続けているとなぜか主将に任命されていました。しかしあまり主将らしいことをした覚えがなく同期や後輩たちには迷惑をかけたと思います。
大学は憧れの先輩の木村先輩、嶋越先輩、溝杭先輩のいる関西学院大学に進学しました。受験の際は東先生には大変お世話になりました。ありがとうこざいます。大学に入ってからは高校とのレベルの違いに圧倒され悩むことがありましたが苦しい時こそ前へ出る不撓不屈の橿高魂でなんとか乗り切ってこれました。調子の波が激しく最後の年は試合に出たり出なかったりでしたが最後の試合に出れて悔いなく拳法生活を終えることができました。
この7年間の拳法生活を支えてくださったOB・OGの方々、東先生、香美先生、コーチの方々、同期、両親への感謝を忘れずこれからの人生歩んで行きたいと思います。本当に支えてくださった方々、ありがとうこざいました。
拙い文章で申し訳ありません。
失礼します。
 

ビッグニュース!

 投稿者:日拳の伝道師  投稿日:2017年 4月 5日(水)09時09分32秒
  奈良県日本拳法にとってまたまた嬉しいビッグニュースです!!

橿高日拳部の2代目顧問を8年間務めていただいた東宏樹先生が今春の人事異動で橿高の教頭先生に昇進されました。
東先生は齢五十を超えてから防具を着け出し、果敢に昇段級審査や龍峰杯等に挑戦して、実力で二段をゲットされました!
11期以降の部員たちの手綱を引き絞り、西日本男子団体初優勝や全国選抜女子個人ワンツーフィニッシュ等の戦果を残し、また部員減少で苦しかった時期も懸命に部を支えてくださいました。
管理職は顧問を持てないため、日拳部からは離れられますが、引き続き橿高内に於いてご協力を賜ります。

そして、東先生に代わり、11期OGの本庄葵が国語科常勤講師として橿原高校に赴任し、顧問をすることになりました。
本庄は立命館大で拳法を続け、女子主将として立命館女子の隆盛に尽力しました。蹴りと粘り強い組みが身上で、全日本社会人団体女子2連覇メンバーでもあります。
前任の榛生昇陽でも前々任の大和広陵でも「よく動く!」との好評をいただいているので橿原でも日拳だけでなくオールラウンドに活躍してもらいたいと思います。

大淀に西口、橿原に本庄が配置され、奈良県の日拳はまだまだこれからが本番です!各校OBOGの協力をお願いします!
2人とも採用試験合格を目指してしっかり勉強もしてください!

 

是非見てください

 投稿者:日本拳法2段  投稿日:2016年12月15日(木)16時43分31秒
  お世話様です。
本クラブがテレビ取材を受け、来る12月18日(日)18:05~奈良テレビ「コンパスナビTV」で特集放映されます。ぜひご覧ください。

先の西日本大会予選は男子女子とも、準決勝進出はなりませんでしたが、かなり手応えを感じる結果となりました。また練習にきていただき、胸を貸してやっていただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。
 

13期に寄せて

 投稿者:日本拳法2段  投稿日:2016年12月15日(木)16時35分30秒
   13期の諸君、先日の選手権を拝見し、少なからず感動を覚えています。高校大学併せて7年間お疲れ様でした。
 高校時代を回顧します。
 男子は上の世代が大変強い世代でタレント揃いでした。しかもこの学年は多くの退部者が出て、結局最後に残ったのは二人でした。小柄ながら強くなりたい一心で、強い先輩と激しい練習をしていた河内が退部の意志を示したときは、残念でもあり、また一定の限界を感じた彼の心情は如何ばかりだったろうと、改めてこの競技の(いや勝負の世界の)厳しさを感じました。
 3年時は、青翔高校が部員を増やし、しかもこの年は決定力のある選手が複数レギュラーとしていました。戦力的にかなり厳しいと感じていましたが、橋本の活躍と中井のキャプテンシーで何とか橿原高校の面目を保ちました。中井は目の不安がありながらも、この競技が大好きで、強くなりたいという意志が人一倍強い生徒でした。また橋本は素人でしたが、天性の試合運びのうまさと切れのある技と組技を併せ持ったバランスのいいサウスポー選手でした。橋本は大学でも通用するとみていましたが、中井は正直心配でした。目の不安に加え、体格的にも恵まれているとは言えなかったからです。龍谷大学にお世話になったものの、逆に本人が大学での拳法に苦しまないか、心配しました。しかし、物事は、感じ たり、考えたり、行動することで達成されるのではなく、念じることによってこそ成就することを、中井が実際に体現したと考えます。
 これに対し、この世代の女子は数に恵まれ、3年時には女子だけで4チームを組める部員数となりました。小学生時に香美先生に指導を頂いていた風味はもとより、柔道や少林寺の経験者など多彩なメンバーでした。部員登録が終わり、備品や胴衣などの準備や名簿の作成が終わろうとしていた4月下旬のある日、夕刻の職員室の光景を今でも覚えています。テニス部を辞めた小柄な女子が、入部を申し出てきました。作業が終わろうとしていた中途半端な時期だったので、「入るんならもっと早く来い」と愚痴りました。まさかこの小柄な女子、駒井と、風味が、2年時3月の全国選抜個人戦の決勝を戦うとはその時は予想もしませんでした。当時は、始業式で2人の表彰が終わると、他の生徒が「先生、本当に全 国大会でワンツーなんですか?」「出場人数が少ないのでは?」などと質問攻めにあいました。やがて4月に迎えた西日本大会団体戦決勝戦で、大学関係者が見守る中、大阪桐蔭高校を2対0、1分で破り、優勝しました。実は前夜、メンバー決めで一睡もできなかったのですが、こちらの思い通りに試合が展開し、優勝旗の重みと選手の笑顔、それにすさまじい睡魔だけが記憶に残りました。悔しさもありました。今度こそ優勝と、四国道後へ乗り込んだ全国選手権でしたが、けがのアクシデントもあり団体戦で大商大堺高校に苦敗しました。選手を運ぶ救急車の中で、悔し涙を流したことは今初めてここに告白します。小学校の頃、勝てなかった風味でしたが、香美先生のお言葉通り、高校になって開花しました 。先生の指導が決してまやかしではなく、少年時に学んだ基本と防具を身につけた上での開花であることを、何よりも風味が示したのだろうと考えます。
 この世代はマネージャー力も充実しました。乾・福山を中心に安心して、任せられました。いつの大会だったか、選手の防具が崩落して試合に負けたとき、責任を感じ、号泣していた二人の顔を今でも覚えています。大学の引退試合にきてくれる高校のマネージャーは、数少ないと思います。

 今までの道程よりも、これから先の道程の方がもちろん厳しいです。しかし、クラブを7年間やりきったことは、あなた方だけの宝物であり、生きる指針として十分すぎます。これからも力強く生きてください。これからの前途を祝福します。
 

本当にお世話になりました!

 投稿者:駒井遥香  投稿日:2016年12月 6日(火)01時03分17秒
編集済
  失礼します。橿原高校13期の駒井です。

先日開催された全日本学生拳法選手権大会をもって、同志社大学日本拳法部を引退しました。私が拳法を始めた高校1年生の頃から今に至るまで、本当に沢山の方と出会うことが出来ました。またその方々の支えがあったからこそ、7年もの間 競技し続けられたと思っています。少ししか関わることが出来なかった方、ずっと近くで関わり続けてくださった方、ひとり残さず私にとって必要な方々でした。この場を借りて、私と関わってくださったみなさんに感謝を伝えたいです。
本当にありがとうございました。

日本拳法との出会いは、人生を良い方向に導いてくれました。高校での部活の時間は私にとって楽しみでしかなく、部活のために学校に行く、大好きな部員たちに会いに学校に行く、そんな感覚でした。青春時代を埋め尽くしてくれた拳法は、本当にかけがえのないものです。
また高校時代に残せた戦績は、黒松コーチ、風味の存在が多大だったと思っています。めちゃくちゃ強い黒松コーチを超えたい!ライバルの風味には絶対に負けたくない!という思いが、私を心身共に成長させてくれました。

大学を導いてくれたのも日本拳法でした。しかし、大学入学後すぐに膝の靭帯を断裂する全治1年の怪我を負い、人生最大の挫折と味わうこととなりました。気が滅入りそうになった時もありましたが、自分には支えてくれる人がこんなにもいるんだなと周りに感謝することが出来たのは怪我があったからです。今だからこそ、前十字靭帯あの時は切れてくれてありがとう!と言えます。(笑)
大学での部活では、後輩の著しい成長、強い先輩からのプレッシャー、今まで悩んだことのなかった人間関係など、沢山の壁にぶち当たりました。本気で部活を辞めようという考えに至ったこともあります。そんな私が留まることが出来たのは、これもまた沢山の方の支えのおかげです。特に、高校から同期の橋本の言葉は胸を打つものがありました。あの時に諦めなくて良かったと心から思います。

最後の引退試合を迎える1週間前に再び膝の靭帯を痛めて試合出場が危ぶまれたのですが、何とか引退試合に出られたことを幸せに思います。本当は優勝して沢山の方への恩返しの試合にしたかったのですが、私自身が最後まで楽しんで思いっきり試合することが恩返しになるのかな?と考え、自分が出せる全力を尽くそうと思いました。なので、後悔は一切ありません!

ものすごく長文になってしまいましたが、それほどまとめることが難しく沢山の思い出で溢れています。そして、この経験はこれからの私の土台となり、支えとなり、力となってくれることだと思います。

日本拳法があり、私の今があります。
最高の7年間でした。
本当に本当にありがとうございました!
 

引退しました

 投稿者:キレのあるサウスポー  投稿日:2016年12月 5日(月)22時31分44秒
  13期の橋本伊吹です。
全日本選手権をもって、7年間続けた拳法を引退しました。本当にあっという間に過ぎた7年間でした。

特に何がしたいというわけでもなく、なんとなく入部した日本拳法部でしたが、1年生の時は特に練習がしんどくて正直毎日辞めたいと思っていました。
入部当初は男子が10人以上いたと思いますが、気がつけば最後には僕と中井の2人になっていました。何故辞めなかったのか、今でも不思議ですがこれまで続けてこれて本当に良かったと思っています。
13期は女子が多く、女子が主導権を握っていたような気がします。女子が練習の前でも後でも、いつも騒いでいたのが懐かしく感じます。
特に印象に残っているのが、賢祉コーチが練習に来る日の練習前は、中井と2人揃ってお腹が痛くなっていたことです。賢祉コーチが練習にいる時の緊張感は今でも鮮明に覚えています。

同志社大学を受ける際には、クラスの担任の先生などから練習だとか落ちても気にしたらダメだとか散々言われましたが、東先生が真摯に向き合って下さったおかげで、無事に入学することができ本当に感謝しています。

高校で拳法は辞めようと思っていたのですが、同期の駒井も同志社で続けるので続けてみようと思いました。また、一回生の時には全日本準優勝という稀有な体験をさせて頂くことが出来ました。
しかし、続けて肩を脱臼してしまい、思うような拳法ができなくなりました。ただ、両肩を脱臼してまで拳法を続けてこれたのは、手を差し伸べてくれる先輩や一緒に頑張ってきた同期、後輩がいたからだと思っています。

この7年の間で、日本拳法に携わり本当に素晴らしい人たちに出会うことができ、自分自身も非常に成長できたと感じています。これから社会に出ても、この7年間で体験してきたことを糧に頑張っていこうと思います。

最後になりましたが、これまでご指導頂いた東先生、香美先生、コーチ、諸先輩方、今まで本当に有難う御座いました。これからは橿原高校OBとして、少しでも恩返ししていこうと思います。
 

引退しました。

 投稿者:風味  投稿日:2016年12月 5日(月)21時15分47秒
  13期の風味由記子です。
2016/11/27の試合をもって引退しました。

小学5年の終わり頃から日本拳法を始め、いつの間にか今年で11年となっていました。
高校・大学と決して楽しいことばかりではなかったですが、引退して思うのは本当に周りの人達に恵まれ充実した日々でした。
こんなにも何かを目指し、仲間と共に一生懸命になれたことはとてもよい経験で思い出です。

引退試合では、立命館vs同志社となり駒井と当たらないようオーダーを組んだにも関わらず当たることとなりました。
高校時代から本当にライバルで、でもいつも自信をつけてくれるのも駒井でした。私にとってとても必要な存在の人と最後に大きな舞台で試合ができたことは絶対に忘れないです。

香美先生、東先生、コーチ、先輩方、そして同期、後輩と、本当に多くの人に支えてもらい、続けてこれた日本拳法です。
来年から就職は関東での勤務となりましたが、恩返しできるようできる限りのことをしたいと思っています。
今後もよろしくお願いします。
 

ありがとうございました。

 投稿者:篠田  投稿日:2016年12月 4日(日)23時55分47秒
  橿高OBOG掲示板ですが、失礼します。
青翔三期キャプテンの篠田です。
青翔高校で初めて、龍谷大学にて七年間の現役を引退しました。
拳法生活を通して先輩、後輩、同期に恵まれて本当に充実した時間でした。
高校の頃は入学して、勧誘をしていた美人な先輩に釣られて入部しましたが、香美先生に指導していただき、勝つ度に拳法が好きになって、負ける度にのめり込みました。

日本拳法が好きになって、もっと強くなりたくて龍谷大学に入学しようと決心しました。
理由は香美先生の母校で、尊敬する奈良の先輩方の母校なのと、道場で花坂さん対上田さんの練習試合を観た時に、気迫が凄まじくて、攻防が激しくて憧れたからです。
大学では、下回生の頃は大学で続けたかった同期の分も自分が強くなることや、先輩を倒すことしか考えていませんでした。
上回生になって、部に貢献するために責任を持って体育局の本部役員としての活動を率先しました。色々と葛藤しましたが、同期や、とくに中井に助けられてやりきることができました。
4位という結果でしたが、ここまでこれて、龍谷大学日本拳法部で良かったと思いました。

香美先生、先輩方、本当にありがとうございました。

青翔OB会長の件は、社会人の初めのうちは時間や、勤務先がとうなるかわからないので自分にできるかはわかりませんが、僕の意思としてはお受けしたいと思っていますので、よろしくお願い致します。
 

/50